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『TRUE KYOHEI SAKAGUCHI SHOW 坂口恭平生活』

小宮雄貴監督インタビュー

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

1|敷かれたレールの上で生きてきて

 

小宮 生まれは神奈川県川崎市です。僕が実家にいたころは、両親と姉と母方の祖父母との6人暮らしでした。父親はシステムエンジニアで、外資系の会社で今も仕事をしています。母親も同じ会社で秘書のような仕事をしていて、父と出会ったそうです。幼稚園のころは、外で遊ぶよりも、持ってきた戦隊ヒーローのおもちゃを教室でいじったりすることのほうが多かったですかね。夕陽が差し込む幼稚園の教室で、ひとりポツンと座ってる自分の後ろ姿が今も映像として記憶に残っています。

 

 小学校に入ってからは社交性も出てきたのですが、中学受験でまた塞ぎがちになり、高校生2年の夏くらいに「あれ、友だちがいない」とふと気づいたのを覚えています。その時期に、父が持っていた『時計じかけのオレンジ』のDVDをたまたま見たんです。それがすごい面白かったというか、映画ってこういうことをやっていいんだって衝撃を受けた。それから、一人の監督の作品を集中的に観るようになって、同時に映画が好きということが自分の拠り所にもなりました。

 

 ただ、そのころは映画をつくりたいとは思ってなかったですね。高校卒業後は、早稲田大学の文化構想学部に進学するんですけど、それも映画や表現にまつわることを勉強できるんじゃないか、ぐらいのふわっとした志望動機で。そもそも進路を決めるときも先生や親の言うことに従っていて、自分で選択するということをしていなかったです。それが自信のなさにもつながっていて、映画は好きだけど、自分はつくり手にはなれないだろうと思っていました。

 

 大学時代で一番楽しかったのは「映像制作実習」の授業です。映画監督の是枝裕和さんが主任講師をしていて、入学したときから気になっていました。だけど、自分は大学でも親の薦めに従ってワンダーフォーゲル部に入っていて、4年の夏まで部活があってフルに出席できなかったので、正式には授業をとってないんです。卒部してからもぐりで出席していました。助監督として脚本を固める段階から参加したんですけど、そこでは意外と意見が言える自分がいて楽しかったんですね。今考えるとですけど、このときから自分は「つくる」ことをやりたかったんだと思います。


 

    2|自分がやりたことを形にしている人たちとの出会い

小宮 就活の時点でも映画監督になることは考えてなくて、でも自分らしく生きられるのはやっぱり映画なのかなと思って、映画の製作・配給会社を受けたんですけど全部落ちて。テレビ局も受けたけどダメで。結局ここでも母親が教えてくれた映像制作会社を受けて、そこに就職することになりました。配属されたのは、2.5次元の映画やドラマを制作するチームでした。入社したのが2020年でコロナ禍だったので、衛生班として朝一番に現場に来て消毒をするのが最初の仕事でしたね。映画がやりたくて入った会社だったので、正直これがやりたいわけじゃないんだけどなって気持ちはありました。

 

 しかもそのチームに極悪非道なプロデューサーがいて、その人は会社の人じゃなくてフリーの人だったんですけど、めちゃくちゃいじめられたんです。徹底的に否定されて、虫けらのように扱われました。今でもはっきり覚えてますけど「資本主義社会でお前みたいなヤツは淘汰される」って言われて。このままここにいたらおかしくなるって思いました。

 

 ただ、そんななかでも良い出会いはありました。数人ですけど、会社にドキュメンタリーをつくってるディレクターがいたんです。彼らは自分たちで企画を考えて、自分たちがやりたいことを形にしていた。その姿を見て、自分がやりたいのはこっちなんじゃないかって惹かれたんです。それで、自分の持ち場の仕事をしつつ、ドキュメンタリー現場の手伝いをしたり、企画を考えたりするようになりました。


 

    3|「坂口恭平とか面白いんじゃない?」

 

 

 

 

 

 

小宮 NHKのBSに「ミニドキュメンタリー」と言って、制作会社の若手を対象にした10分間の番組があるんですけど、企画が通れば制作の経験がなくてもディレクターデビューできるんです。あるとき、会社のドキュメンタリーチームのディレクターが「これに応募してみないか」って声をかけてくれて。それで初めて書いた企画書が、鳥取の映画館・jig theaterのドキュメンタリーでした。

 

 ちょうどjig theaterがオープンしたころで、大好きな映画の『HAPPY HOUR』(濱口竜介監督  2015年)の登場人物を演じた柴田修兵さんが夫婦で、「戸惑い」をコンセプトとした映画館を作ったということに惹かれたんです。企画書を書くにあたって、まずは自分の体を通してどんな映画館なのか知りたいと思って、映画館がある湯梨浜町に行ったんですけど、これがめちゃくちゃ楽しくて。結局企画は通らなかったんですけど、取材をきっかけに、いろんな人に話を聞いて関係が生まれていくのがすごく嬉しかった。

 

 jig theaterに行ったのが2021年9月で、そのとき初めてjigの近所の書店・汽水空港にも立ち寄りました。そもそもは汽水空港があったから、この地でjig theaterをやることに決めたと聞いていたので必ず寄ろうと思っていて。それで、汽水空港で初めて買った本が、坂口さんの『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書、2012)だったんです。

 

 会社の同期に小平くんっていうシネフィルがいて、彼にときどき「自分はドキュメンタリーがやりたいのかもしれない」って相談してたんですよ。小平くんは僕が「ミニドキュメンタリー」の企画書を書いてることも知っていて、「坂口恭平とか面白いんじゃない? 自分の電話番号を公開してるんだよ」って教えてくれて。そしたら汽水空港でたまたま『独立国家のつくりかた』を目にして「あ、小平くんが言ってた人の本がある」って。小平くんには、坂口さんだけでなく、いろんな映画を教えてもらったので、今思うとかなり重要な存在ですね。

 

 しかも『独立国家のつくりかた』を読んだら、当時の自分にすごくドンピシャな感じがした。「生理的な感覚を起点に考える」みたいなフレーズにハッとして、いかに自分がそういう感覚を閉じていたかに気づかされました。そこから坂口さんに興味を持って本を読んだり、活動を追っていくようになりました。


 

    4|「自分もつくり手にならなければ」

 

 

 

 

小宮 人付き合いは得意な方ではないですが、自分の体を移動させて直接人に会って話を聞く楽しさを感じてからは、自分はやっぱりドキュメンタリーなんだなと思って、2023年3月に会社をやめて、その年の5月からドキュメンタリーの制作会社に転職しました。

 

 ドキュメンタリーに進むことを決めたのには、もうひとつきっかけがあって。前職時代に観に行った「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」で感銘を受けたドキュメンタリーがあったんです。「ETV特集 7人の小さき探求者〜変わりゆく世界の真ん中で〜」っていう、NHKの松原翔ディレクターが制作した番組なんですけど。言葉に還元できない映像の力を浴びに浴びた衝動から、帰り際の松原さんを呼び止めて話をさせてもらって、その後も長々とメールで感想を送ったら、松原さんが「良い受け手からつくり手へ。またどこかで会いましょう」と返事をくれて、本当に自分もつくり手にならなければと決心しました。

 

 坂口さんと初めて会ったのは2023年の8月です。転職して最初に書いた企画書が坂口さんの密着企画だったこともあり、まずは会わねばと、札幌のAch so neで開催された坂口さんの個展でのライブに行きました。演奏がはじまった途端、思わずカメラを回してしまって、許可もとらずに全編記録してしまいました。ライブが終わったあと『独立国家のつくりかた』にサインをもらったんですけど、その場では何も言い出せず会場を後にして。前日に坂口さんがXでオススメしてた居酒屋にひとりで入ってカウンターに座っていたら、後から坂口さんが入ってきて、お互い「あっ!」となった。

 

 坂口さんは3人で来てたんですけど、一緒に飲もうよみたいな感じで僕のほうに来てくれたんです。それで「君、全編撮ってたね。君のYouTubeにアップしていいよ」って坂口さんが言ってくれて。そのときに「ドキュメンタリーを撮らせてください」って言ったら「全然いいよ」と。ただし条件があって、「編集したら俺は伝わらないからノー編集でYouTubeで公開しよう」と坂口さんから伝えられ、撮影できるならと自分は甘んじて受け入れました。それで、翌週には熊本に行って撮影をはじめました。

 

    5|「坂口恭平記録」から「TURE KYOHEI SKAGUCHI SHOW 坂口恭平生活」へ

小宮 熊本での撮影初日は、朝4時からはじまりました。前日に熊本入りして「明日午前10時から撮影しよう」ということになったんですけど、ネカフェで寝てたら午前3時ぐらいに坂口さんから電話がかかってきて「目が覚めちゃったんだけど、どうする?」と。そこからタクシーで坂口さんのアトリエに行って撮影をはじめました。その日は一日8時間くらいずっとカメラを回しっぱなしにして、「坂口恭平記録」というタイトルで自分のYouTubeチャンネルに編集せずにアップしました。それから1ヶ月後、撮影の直後に坂口さんが半年間鬱になって、連絡がとりづらくなってしまいました。

 

 鬱の間に一度坂口さんから電話がかかってきたことがあって。それが映画でも使っている2023年9月30日の電話です。そこで、坂口さんが初めて家族の前でさびしさを伝えられたと話してくれたんです。自分としては、この電話を受けたからには、鬱明けも絶対に撮らせてほしいと思った。それで、2023年の12月ごろ、坂口さんがちょっと浮上してきたときに「今また撮らせてもらえないですか」と聞いたら「いやもうドキュメンタリーは飽きたかも」と(笑)。ここからだと思ってたのにマジかとなって。

 

 諦めきれないので、坂口さんの体調をうかがいつつ、撮影したい思いは伝え続けました。2024年の3月には坂口さんの鬱が明けて元気になるんですが、そしたら今度はNHK福岡のディレクターが坂口さんに取材を申し込んでいることが坂口さんのツイートを通じて伝わってきた(笑)。指をくわえて見てるわけにもいかないので、坂口さんに「自分も撮りたいです」ってDMしたら「小宮もやるしかないじゃん」って返信が来て、撮影に行ったのが映画の中でも出てきている「焼き鮭」のいのっちの電話の日です。

 

 この日は、朝からパステルを描いてその流れで作曲して、畑に行って温泉にも行って焼き鮭のいのっちの電話っていう、とんでもない一日だったんです。映像自体は全部で3時間半ぐらいしかないんですけど、あらゆることがつまっていた。坂口さんも「これは公開しよう」となって、ここから「坂口恭平記録」あらため「TRUE KYOHEI SAKAGUCHI SHOW 坂口恭平生活」がはじまりました。


 

    6|一番撮りたかった被写体を撮れなくなる

小宮 それから1週間に約1本のペースで動画をアップしていくんですが、「TRUE KYOHEI〜」がはじまって3か月経たないぐらいで、坂口さんから取材NGが出たんです。理由はいくつか思い当たりますが、坂口さんがここは撮影してほしくないという場面で自分が断りを入れずにカメラを回してしまったことで信頼が崩れたと自覚してます。

 

 Xのスペースでは「小宮がいると奇跡が起きなくなる」って言われて、ツイートでも「小宮にはまだ伝えてないが、実はもう『TRUE KYOHEI〜』飽きている」って書かれてて(笑)、めっちゃ落ち込みました。でも坂口さんが撮らせたくないと思った理由は納得できたし、坂口さんの意志が強かったので、SEASON1はそこで終了になりました。2024年6月中旬のことです。

 

 自分の責任ではありますが、一番撮りたかった被写体を撮れなくなってしまったことは、かなり辛い経験でした。しかも、深いところまでたどりついたという実感が全然ないまま、撮影ができなくなってしまった。一方で、撮れた素材のなかに、大事なことが詰まっているという実感もありました。だから、今できることがあるとすれば、編集して形にするしかないなと思ったんです。

 

 そこから1年間、どうまとめれば良いか答えが見えないまま編集を続けました。めちゃくちゃしんどかったですけど、今思えばあれが僕にとっての鬱の時間だったんだなと。坂口さんがよく自分で自分を救う方法について話してますが、あのときの自分にとっては、それが編集だったんだと思います。映像を見直して、坂口さんはこういう顔も撮らせてくれたんだとか、自分が撮れたものに気づく過程が自分を救ってくれました。同時に、「俺は編集したら伝わらない」という坂口さんへの挑戦でもありました。


 

    7|映画が「生きること」について考える力になる

 

小宮 そうしてつくった編集版をはじめて上映したのは2025年7月です。岡山県津山市のギャラリー朔での坂口さんの個展に併せて上映させてもらいました。正直、中途半端な状態で撮影が終わってしまったので、その素材でつくった編集版が映画としてどうなのかという不安はずっとありました。でも上映をしてみたら、お客さんから良い反応が返ってきて、手応えを感じることができた。

 

 縁あって初めて取材をしたjig theaterでも上映させてもらえて。観に来てくれたお客さんのうち、坂口さんのファンは1割ぐらいだったんです。「jigがかける映画だから」ってjigを信頼して観に来てくれた人が多かった。それでもお客さんの反応を見て直接話をしたら、坂口恭平を好きとか嫌いかとか関係なく、映画がその人自身のさびしさに向き合うきっかけになっていることが伝わってきました。この映画が「生きること」について考えるきっかけになっているんだと。そのことは大きな自信になりました。

 

 東中野のplatform3での上映には、ポレポレ東中野の小原(治)さんが来てくれて、「小宮くん、これどうしたい?」と聞いてくれた。「もちろん映画館でやりたいです」と答えたら、小原さんが劇場版をつくるために伴走してくれることになりました。朔で上映したときは169分ありましたが、各地の上映の合間にも編集を重ね、さらには劇場版に向けて小原さんと編集を重ねた結果、147分の劇場版が完成しました。

 

 YouTube版の「TURE KYOHEI SKAGUCHI SHOW」は、坂口さんに「小宮はカメラマンでしかないだろ」って言われてて、正直ドキュメンタリー制作者としては悔しかった。鬱が明けた坂口さんが「新しい共同体をつくりたい」と話しているけど、新しい共同体ってなんなのか、それをどうやってつくるのか、そういう自分の疑問や戸惑い、納得しきれていない部分も含めて劇場版には映っているんじゃないかと思います。

 

 劇場版を編集するにあたっては「さびしさ」がキーワードになりました。坂口さんが向き合ったさびしさを通して、現代社会のさびしさが否が応でも映ってしまうんじゃないか、それこそを描こうと思いました。編集というフィルターを通した坂口さんを観ることで、自分のさびしさだったり、自分の中の「死にたい」という感情だったりに目を向けるための力に、この映画がなるんじゃないか。だからぜひ、映画館の暗闇のなかで観てもらいたいです。


 

    8|自分の人生を生きるために

 

 

 

小宮 坂口さんの撮影を通して実感したのは、今この瞬間にも自殺を図ってる人がいるという現実と、自分はたまたま生き延びてるんだということです。前職時代、自分の拠り所でもあった映画の現場で否定され続けたとき、自分は泣いている姿を見せられる人がいたから生きのびられたし、坂口さんに電話をかけずに済んだけど、その当たり前じゃなさを思い知ったというか。

 

 「助け合うことしかできないのが人間だ」っていう坂口さんの言葉が、今でも自分のなかにめちゃくちゃ残っていて。坂口さんも元気なときには人を助けまくってますけど、坂口さんが鬱のときに、妻のフーさんが坂口さんの代わりにライブに出る予定だったのをやめて、坂口さんと一緒にいる選択をしたことも、互いに助け合っているということだと思います。坂口さんがいのっちの電話をやめた今、じゃあどう助け合えばいいんだ、自分は何ができるんだって。坂口さんをこれだけ撮らせてもらった以上、自分もそのことに向き合わなきゃいけないなと思っています。

 

 これからも坂口さんを撮りたいと思ってますが、ドキュメンタリーに終わりってあるのか、何をもって終わりにしていいのかとも思っていて。それこそ、坂口さんって自分で全部記録を残しているから、なんでわざわざ撮る必要があるのかって思うと思うんですけど、映像で撮らなかったら映らないものも絶対にある。編集という行為を経ることで、散らばった坂口さんの要素がひとつの輪郭を持って見えてくる。それはドキュメンタリーだからこそできたことなんじゃないか。しかも、ドキュメンタリーとして残しておけば、このときこの人がこういうふうに生きていたということを、時間が経ってから多くの人と観ることができます。

 

 僕自身、ドキュメンタリーを通して、とんでもない数の人と出会えました。坂口さんを撮ってるということも大きかったと思いますが、いろんな場所に行って、その場所が自分にとっての帰る場所になった。湯梨浜町の人たちや、熊本や各地の上映会で知り合った人たち、YouTubeを観てくれた人たちや、クラファンで応援してくれた人たちの存在が、今後自分が生きていくうえでの支えになっています。

 

 本当に、あのとき会社を辞めて、ドキュメンタリーの道に進むという選択ができてよかった。それが唯一できた自分の選択だと思うんですよ。やっと自分の人生を歩むことができた。「jig theaterのドキュメンタリーをつくりたい」という自分の素直な気持ちにしたがって湯梨浜町に行ったこと。そこで『独立国家のつくり方』を手にして、自分の生理的な感覚に蓋をしていたことに気づけたこと。そのことに気づかせてくれた坂口さんに密着できたこと。それが映画にもなったこと。この先の人生になんの希望も持てなかったところから、この世界に対して自分ができることがあるんだっていう前向きさを手に入れることができました。

 

 坂口さんの撮影を通して、戦争トラウマや新しい共同体についても興味を持ったので、今後はそうしたテーマを軸に取材をしてみたいという思いもあります。坂口さんとはまた全然違うと思いますが、オープンダイアローグとか、その人がどうしたらその人らしくあれるのか、人が回復する過程に関心があるのかもしれません。この映画のラストカットからも撮影は継続しているので、『TRUE KYOHEI SAKAGUCHI SHOW 2』をつくりたいとも考えています。自分が『独立国家のつくりかた』で生理的な感覚に目を向けられたように、映像を通して自分が何をしたいのか、どう生きたいのかを考えるきっかけになる、そんなドキュメンタリーをつくれたらと思っています。

 

 

2026年3月11日 ポレポレ坐で収録

取材・構成=木村奈緒

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